アメリカ生活と思うこと

生活している中で思うこと in USA

書くこと

録音された自分の声を聞くのは鳥肌がぞわぞわして気持ち悪く「もうしゃべるまい!」と思う。

 

自分が書いた文章を読むと同じような気持ちになる。

 

アメリカに引っ越してくる前、自分の中学生の頃の日記を見つけた。「これは葬るしかない!」というくらいに小っ恥ずかしい代物だった。

 

うまい文章を書くにはたくさん本を読むといいと聞く。問題はここにあるのかもしれないとも思う。私は読書家ではない。(子供達には、本を読め読め言っているくせに。)海外にいても今の時代、読もうと思えば日本の本はいくらだって読めるし、この国で英語を使って生活せざるを得ない状況だから英語の本ももっと読むべきだとは思っている。

 

でも、やってない。

 

あと、やっぱりたくさん書くことも大切だと聞く。何でも練習しなきゃうまくはならないわけで文を書くことも例外ではない。

 

ブログもたまに書く。そしてそれはたいてい「下書き」のまま残る。文章がまとまらなかったり、途中で面倒になってしまったり、書いてブログとして世の中に出してどうする?という気分になってきてしまったり…の結果だ。

 

今、こうやって書いてることも「こんなひとりぶつぶつをブログにのせる意味あるの?」という気分になってきている。

 

そして気づく。

 

意味ばかり考えてたらつまらいかもしれない。

 

「楽しいから」「やってみたいから」という理由で十分じゃん。と。

 

どうも親になってからというもの「なぜ」ということを考えすぎるようになってきてしまったようだ。

 

「なんでそんなことするの?」

 

でも大抵、子供に理由なんてない。

 

理由があるとしたら

 

「やってみたかったから」

 

 

いいことも、大人にとって好ましくないことも。

 

その上、今の自分は「やってみたいかも!」と思ったことにすぐいろんな理由がくっついてくる。「面倒くさい」とか「時間がない」とか「金がない」とか「恥ずかしい」とか。

 

そして脳みそはそういう風にできているらしい。

 

面倒なことエネルギーをつかうことリスクがあることは極力避けたがる。そしてその思考が脳を支配するスピードはすんごい速いらしい。

 

そしてたぶん歳をとれば取るほど経験が増えるから「やらない方がいい理由」はどんどんと大きくなっていく。「やりたい」が「やらない方向に向ける力」に勝つチャンスはどんどん減ってゆく。

 

作戦が必要かもしれないと思う。というか、必要だ。

 

今、このエントリーも下書きにしまいこんでしまいそうな自分がいる。

 

Thinking about it dosen't mean anything after all.