アメリカ生活と思うこと

生活している中で思うこと in USA

女子力の呪縛

日本では今でも「女子力」という言葉がよく使われているのだろうか。

 

私自身はこういうのに苦手感を感じていて「女子力高いよね」とか「女に生まれたからには」「女なんだから」とかいう話題に、ちょっと過敏に反応してしまう。「カワイイ文化」にも抵抗がある。そしてそうじゃないといけないみたいなのはさらに苦手だ。

 

女らしくカワイくもなれなかった中年オババのひがみだが「自分らしい魅力というか人間性とかが素敵なだけじゃいかんのか?!」と思う。

 

が、それも矛盾していることを知っている。

 

見た目に人間の感情は反応することも知っている。

 

近年、アメリカでは肥満正当化が目に付く。「デブだっていい。デブは病気。デブなのは私のせいじゃないの。社会はデブを悪くいうべきではない。」というのをよく目にするようになった。が、元デブとしては引っかかるものを感じる。遺伝的に太りやすいとか、ガッチリムッチリ体型はあっても、太りすぎはやっぱりよろしくはないと思うし、差別もすべきではないが、それを良しとするのはどうかと思うのだ。

 

そして「デブが本当にデブでいいと思えるのか」疑問に思う黒い自分がいる。

 

いつだったか、人間的に大好きな人が「見た目はどうであれ、中身が魅力的ならいいと思うの!」と言った。でも彼女は明らかに肥満体型なのだ。身長は156−7センチと言ったところだろうか。そして体重は100キロくらいだ。(55キロから40キロ太って、最近、体重計を買って測ったらもっと太ってた!と言っていた)

 

昔の写真を見せてもらったらJessica Albaそっくりだった。いわゆるぼんきゅぼん体型で男には不自由しなかったという。でも性的目線で見られることも多く、それが嫌だったからこうやって太って「内面をみてもらえるように感じて嬉しい」と言った。(誤解のないように言っておきたいけれど、彼女は本当にチャーミング。)

 

いやらしいことに私は、彼女がそう言った時に「それは太ってしまった自分を正当化しているんではないの?」と思ってしまい(口には出せなかったけど)「自分らしい魅力というか人間性とかが素敵なだけじゃ、やっぱダメだ」と思っている自分に改めて気づいた。(面倒くさい上にブラックだ。)

 

私は20年以上前、カナダで人生最高に重い時を過ごした。身長170センチを超えるがっちりむっちり女というのはカナダではそこまで目立つことはなく、うじうじすることもなく過ごせたが、やはりいつもどこかではちょっとした引け目を感じていた。だからそんな風にいじわるく思ってしまったのかもしれない。

 

そして、自分もまだ「女らしい、かわいい」に強い憧れを持っていて、そうしない自分を正当化しようとして自分らしい魅力というか人間性とかが素敵ならいいじゃん」と吠えているのだ。

 

今、私にとって、おしゃれも化粧もネイルも「いわゆる女らしいこと」は、もはや照れ臭さと面倒くささとその他もろもろが噛み合って、「特別な時、専用」になっている。

 

職場でもいわゆるガールズトークになると入っていけない。長い爪も色のついた爪も、化粧もハイヒールも普段使いできない。彼女たちは単に好きだからやっているのだろうけれど、私にとってそういうことは「特別」なので落ち着けない。

 

どんな社会・文化にも、見た目含めて「好ましい・好ましくない」があって、それからはみ出してしまうと、どんな場合でさえ居心地の悪さを感じる。少なくとも私は日本ではそう感じることが多かった。逆を言えばそれがその国や地域独特の文化や「らしさ」を生み出しているのなのだけれど。求められているものからはみ出していると感じることはいい気分ではなかった。

 

アメリカでもそう感じている人はたくさんいると思う。もしかしたら誰もが多かれ少なかれ「はみ出している」「足りない」と感じながら生きているのかもしれない。

 

なんて厄介。

 

その居心地の悪さを乗り越える秘訣は「心から」いろいろまとめて自分が自分でよろしい!と思えることなのかなと思う。そしたら、他人が意地悪なことを思ってもへっちゃらな気がするのだ。

 

いつか軽やかに自分を飾れるようになったら「女子力の呪縛」から解き放されたことになるのかもしれない。

 

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Some rainbow