アメリカ生活と思うこと

生活している中で思うこと in USA

スカイプ コール

昨日、何年ぶりかに30年来の親友とスカイプで話した。そして「メールでは伝えたくなかった」というニュースを聞いた。

 

中学の同級生が自殺した。

 

彼は私の友人が小学校の頃好きだった人だった。そして私が中学校の頃好きな人でもあった。誰にも言わずただ日記に書いて盛り上がっていたことを覚えている。

 

話を聞いても今の彼がどんな風貌でどんな生活をしているかもわからない私には今いちピンと来ず、自分の痛々しい思春期の思い出が巡る。

 

 

「死」というのは「誕生」と「生きること」の延長にあり、その価値に差はなく、同じくらい普通にあることなのだ。それなのに「死」だけが特別な悲しみを持つ。少なくとも私の周りではそうだ。生命にここまで意味や意義を持たせるのは人間以外にもいるのだろうかと思う。

 

今年17年に一度大発生するセミが予想外に4年早く出てきているようで、道端にはセミの抜け殻とセミの死骸がたくさん落ちている。そんな中、殻から出たばかりの羽が白くてふにゃふにゃのセミを見つけた。

 

よりにもよって歩道のど真ん中にいた。

 

10年以上真っ暗な地面の下で過ごし、がんばって殻から出て、一週間ほど地上で生きて死ぬ。下手すれば小動物の餌となり人間に踏まれ、地上での一週間を謳歌することもない。

 

一生懸命働いて、コツコツ貯金を貯めてやっと休暇が取れて旅行に出たのに不運なことが起こる。人間の人生に例えたらなんともやるせない。こんな風に例えてしまうのもまた人間だけだろうか。

 

何が言いたいのか全然わからなくなってしまったが、人間として誕生し生きて死ぬということは他の生物より厄介だ。何もかもが大げさだ。小さなことにくよくよし、感動し、自分で自分の命を断つこともある。死んだ後のことも想像する。

 

 

うむ。まったくまとまりがなくなってきてしまった。

 

存在する全ての生物はこの瞬間にしか存在しない。過去や未来に思いを馳せることはできても、存在するのはこの瞬間瞬間でしかない。すごい能力がない自分は今しか存在することしかできない。この文章を書いた数秒前にでさえ戻ることができない。

 

そんな瞬間を記憶に止め、過去とか思い出を残す。そして未来を想像する。そしてそれも生きているゆえにできる技で、脳みそが機能しているからできることなのだ。

 

哲学者でもないのに小説家でもないのに難しいようなことを書いてますます、まとまらなくなったところで朝のランニングに行ってくる。

 

どうか彼の死が周りの人たちに力を与えますように。

 

(仕事の同僚の文化では誰かが死ぬと死んだ人のエネルギーが生きている人に与えられるという。さもなければ、例えば子をなくすなんていう悲劇には耐えられないと。)

 

例のセミ。

https://www.instagram.com/p/BUPwz6ylXEp/

Already? もう?