アメリカ生活と思うこと

生活している中で思うこと in USA

アメリカ一軒家への引越し(1)

引越し先は同じ市内の車で5〜6分のところだった。アパートから一軒家への引越しで、自分たちでトラックを借りてわっせわっせと荷物を運んだ。幸い引越しの日は涼しい晴天だった。

 

義両親も手伝いに来てくれて小さなものをちまちま運んでくれた。夫の弟は用事がある中、3人掛けのソファーを運ぶのを手伝いに来てくれた。太ももの後ろにかなりひどい肉離れをおこしている夫は始終辛そうだったが頑張った。

 

アパートの部屋の契約はまだ残っているので乗用車で運べるものは後回しにし、とにかくトラックじゃないと運べないものを中心に、本棚やベッドなどを積み込む。2階のアパートから、夫と私で運ぶ。そしてふと思った。

 

「もし私がこんな風にガタイのいい女じゃなかったら、こんなにたくさん引越しはしていなかったかもしれない。」

 

170センチ越えのがっちり体型じゃなくて、普通サイズだったら人生かなり違っていたんじゃなかろうかと思うことがある。まあ、人生は何一つちがってもいろいろ変わるものなのだろうけど。

 

夫の足も限界になった頃、すべての大きなものの移動が終了した。アメリカの一軒家にありがちな車庫にとにかく突っ込むというだけだったけど、(こっからまた各部屋に運ぶのかあ。)とにかく目標は達成した。

 

レンジでチンの冷凍物で夕飯を済ませ、夫が買ってきてくれたワインをコーヒーカップ半分を2杯ほどいただきその夜は就寝した。

 

明日はちまちまと小さなものの移動だ。

落ち着かない

今朝はいつも通り4時過ぎに目が覚めた。いつもと違うのは、初めて「我が家」で目がさめたこと。

 

今日は引越しだ。

 

昨日はベッドなどはまだ前の家にあるものの、この家で泊まり込もう!ということになりキャンプで使うようなエアマットレスで眠った。マットレスの中の空気が冷たくて今朝は目が覚めた。というか、全てがいつもとは違うのを体も知っている感じだ。

 

私の人生はこれまで引越し人生だった。理由はいろいろあるけれど、この家は人生において30回目の「我が家」。(いつも数えながら混乱してくる。)

 

今回がこれまでと違うのはここが「自分たちで買った家」ということだ。(面倒な契約書を読むとか、不動産関係とのやりとりなんかは全て夫がやってくれたケド。この辺りの話もまたいつか。)

 

家というのは住みながら我が家にしていくものだけれど、今回はなんともこれまでと違う。子供達はワクワクし、夫もああしようこうしようといろいろ計画を練っている。なんてったって「自分ち」なんだから!

 

その一方、私だけ「ぜんっぜん、のらない!というか気分は下↓」なのはなんでだろう。もっと嬉しくていいはずなのに。いや、嬉しいけどそれ以上になんとも説明のしがたい重いスッキリしないものが私を包んでいる。なんでだろう。

 

借家というのはアパートにせよ一軒家にせよ一部屋にせよ、いつかは引っ越すという「仮り」という感覚がある。自分の都合で引っ越せる。子供の頃の引越しは親の都合だったけれど、大人になってからの引越しは自分または夫と私の都合で引っ越してきた。浮き草のように根を張らず、日本縦断、太平洋横断、大陸横断、歩いて3分の引越し。

 

42年間に30回住処を変えてきたというのは「引越し人生」と呼んでいいかなと思う。それが(たぶん)終わろうとしている。

 

そしてそれが怖いのかもしれない。自分が思う以上に。潜在意識のレベルで。

 

「ここに一生住み続ける覚悟はあるか!」と迫られているようで。

「30年ローン組んだで。ずっと一緒だで!何か壊れても大家さんはいないで!」

 

あ、

 

書きながらすごく納得の答えが降ってきた。

 

マレッジブルーだ。

 

「この人(家)と一緒に添い遂げる覚悟はあるか!一生一緒だで!恋人(借家)とはわけが違うで。何かあっても親(大家)は頼れんで!自分たちでなんとかしていくのだよ。」

 

そうかーそうだったのかー。

 

結婚生活と同じかー。ああ、同じだあ。たぶん。

 

 

ちなみに下の動画は数日前に撮った花吹雪。この土地を好きな理由の一つ「桜が咲く!」こと。

花吹雪 flower shower